こんにちは、てもきちです。
前回のブログでは、僕が最近の世の中について思うことを書きました。
まだ書ききれていないことがあったので、書いてみたいと思います。
こんな世の中でよいのか
前回の投稿で触れた以外にも、世の中ではさまざまな問題が顕在化してきています。
僕は以下のことが気になっています。
自殺者が高止まり
日本では、自殺者が年間3万人を超えることが2002年から14年連続で続き、その後毎年2万人以上の人が自殺している状況です。
そのうち、こどもたち(児童・生徒)の自殺は、2020年には479人と過去最多となってしまっています。
自殺者全体の2万人に対して479人は少なく感じるかもしれません。でも、例えば、ある学校の児童数が479人であれば、学校の児童全員が自殺していることになります。そう考えると恐ろしいことです。
今の世の中は、未来のあるこどもたちが、自殺を選択してしまう世の中になってしまっているということです。
孤独死の増加
高齢者を見ると、孤独死が問題となっています。
警察庁のデータによると、2024年に一人暮らしの自宅で亡くなった人は76,020人で、そのうち65歳以上の高齢者は、58,044人もいたそうです。
また孤独死全体のうち、死後8日以上経った人が21,856人もいたとのこと。さらに死後半年以上経ってから見つかった人が642人もいたとのことです。
社会から孤立してしまっている人、誰からも気にされずに生きている人がいることの表れではないでしょうか。
ネット社会の弊害
ネット社会による弊害も多くなってきています。
例えば、SNSを利用することによる「SNS疲れ」があります。
みんなと繋がりたくてSNSを利用しても、情報が多すぎて何が正しいのかわからなくなったり、他人の投稿を見て自分と比較し、自分を卑下してしまったりします。
ひどいときには、ネガティブなコメントでダメージを受けてしまいます。有名人でも、ひどいコメントが原因で自殺してしまうケースも生じてしまっています。
匿名でコメントを書き込めるためか、心無い言葉で傷つけてしまうことが多くある世の中になっていると感じます。
なぜこんな世の中になってしまっているのか
なぜこんな世の中になってしまっているのか考えてみたところ、要因として3つ思いつきました。
①核家族化などの世帯員数の減少
②地域コミュニティの消滅
③インターネット環境の広まりによる顔の見えない繋がりの増加
この3つは、時代の移り変わりによって変化してきた部分です。
ひと昔前と現代の状況を見比べながら、僕が感じていることをお伝えします。
ひと昔前(昭和以前)の状況
世帯員数としては、昭和の中ごろまでは、サザエさんの磯野家に見られる、拡大家族(祖父母や叔父叔母等が同居する家族)が多くあったと思います。
家族が多くいるので、子育てや家事を協力して行うことができたでしょうし、子どもや高齢者を見る目も多かったと思います。
地域コミュニティとしては、近所の人の顔を皆が知っていて、子どもが出歩いていても近所の人の目があり、防犯の面でも安心だったと思います。1人暮らしの高齢者も、近所の人があまり顔を見なくなれば、誰かが気にかけていたのではないでしょうか。
僕も子供のころは、近所の人をお互いに知っていました。
昭和の時代まではネット環境がなかったので、対人関係は顔が見える関係が多く、誰と繋がっているのかわかります。
誰かわからない多数の人からひどいことを言われて傷つく、ということも少なかったと思います。
現代の状況
現在は核家族化が進んだことにより、「ワンオペ育児」や「孤育て」と言われるように、1人で家事や育児をこなさないといけない状況になってしまっています。
親世代と同居しない若者世帯が増えたため、高齢者を見る親族が少くなったこと、そもそも親族間の扶助意識も低下していることから、高齢の一人暮らしでも自力で生活を整える必要が生じています。
世帯の人数の減少は、データでも表れています。

表を見ると、1980年には1世帯あたり平均3.2人がいましたが、2020年には平均2.21人となり、ほぼ1人減ったことになります。
また、1人世帯の割合も増えていることが以下のデータでわかります。

1980年には、1人世帯(表中の単独)は7,105,000世帯でしたが、2020年には21,151,000世帯と約3倍になっています。
核家族世帯の増加も見て取れます。
地域コミュニティの面でも、近所の家に誰が住んでいるか知らなくなってしまったことで、小さな子どもだけで家の外で安心して自由に過ごさせることが難しくなっていたり、一人暮らしの高齢者を気にする人が少なくなっていたりします。
そういう僕自身も、近所に住む人のことをほとんど知らない状況となってしまっています。
ただ、ネットで誰かと繋がりやすくなったので、相談はしやすい環境になったはずです。
それでも、SNSによるマイナスの部分のダメージを大きく受けてしまったら、なかなか立ち直れず自殺する人もいます。
物は使いようなんでしょうが、誰か知らない人でも匿名で悪いコメントを書き込めてしまいます。SNSを利用する以上、防ぎきれない仕組みになってしまっているように思います。
本当は、みんなが相手のことを考えてSNSを利用すればよいのですが、そんな余裕のある世の中になっていないのかもしれません。
何かしら生きづらさを感じる世の中なのかもしれません。
孤立化が要因では
人との繋がりを持ちにくい(なくても生きていける)世の中だから、苦しみを誰にも相談できず、心の内に溜めてしまって自殺してしまうとも考えられます。
直接の繋がりがが希薄となった世の中では、「今日は〇〇さん見かけないね」なんて誰も気にかけることがなくなり、孤独死になってしまったりするのではないでしょうか。
昭和の時代が全て良かったとは思いませんし、他にも要因はあると思いますが、時代の移りに伴う孤立化は1つの要因のように思えます。
孤立化は人が求めた結果でもある
とはいえ、孤立化が進んだのは、人がそれを求めたからでもあると思います。
先ほど、ひと昔前の状況で拡大家族のメリットばかりを書きましたが、デメリットとして
「人間関係が煩わしい」
という問題があります。干渉してくる人が多ければ多いほど、自由な生活はしづらくなる面はあると思います。
また、昭和に日本経済の成長があり、家族や近所で協力しなくても生活できる豊かさとなってきたことも、家族から離れて暮らす人が増え、世帯員数の減少が進んできた理由の1つのように思います。
今後も孤立化を深めていってよいのか
現代は、経済が豊かになり、物質的には恵まれた時代になりました。
先人たちの血と汗と涙の結果で、私たちはその豊かさを享受しています。
豊かになり生活しやすくなったはずなのに、一方で、自殺をしてしまったり、孤独死をしてしまったりと、悲しい形で人生を終えてしまう人が多くいる世の中ともなっています。
物質的には恵まれても、心が満たされない世の中になってしまっているのではないでしょうか。
人はひとりでは生きていけない
いくら経済が豊かになろうとも、スマホを指を動かすだけで投資や買い物やできても、宅配で食事が届いても、結局人間はひとりでは生きていけない生き物です。
スマホ1つで生活をするにしても、世の中に、ネット環境を整備する仕事をしてくれる誰かがいるから、食糧や商品を生産してくれる誰かがいるから、食べ物を作って届けてくれる誰かがいるから、生きていけるわけです。
精神的な面でも、人は誰かと意思疎通をし、多かれ少なかれコミュニケーションを取って生きています。その中で、精神的な安定が保たれるのではないでしょうか。
また、健康なうちはひとりで生きていけたとしても、病気やけがの時には、誰かの助けが欲しくなることがあると思います。
結局、人は少しでも誰かと繋がって生きていく必要があるのだと思います。
こんな心がけで生きていこう
僕は、今の世の中を少しずつでもよくしていくために、次のことを心がけたらいいと思っています。
少しずつ、繋がる人を増やしていこう
世帯員数の減少が世の中の流れであるならば、ネット環境だけでなく、友人、近所の人、趣味のサークルなど、直接繋がる人を増やしていってみてはどうでしょうか。
それにより、定期的に会う人が増え、気にしてくれる人が増えれば、孤立感を感じることがなく、精神面での安定に繋がると思います。
もし、祖父母などの親族と同居できるならば、それもいいと思います。
孤独死を防ぐことにもなりますし、誰かと食事を共にすること、家事を行うことなども良い効果があると思います。
家電などの生活に必要な物も家族でシェアできれば、1人あたりの支出は少なく済みます。
また、ボランティア活動に参加したり、子ども食堂、地域食堂に行ってみるのも繋がりを増やすことになると思います。
一緒に農作業をやるのもいいと思います。
皆が少しずつ繋がる範囲を広げていけば、その繋がりはは世の中に網目のように広がっていき、孤立化を少しでも減らすことになっていくのではないでしょうか。
やさしさあふれる世の中になるように
僕は、誰かの悪口をこっそり書き込むような世の中ではなく、みんなが周りのことを少しでも思いやれる余裕があって、やさしさのあふれる世の中になったらいいなと思っています。
僕の目指す自給自足的な暮らしは、人との繋がりや助け合いが必要なため、やさしさのあふれる世の中に繋がる要素を持っていると思います。
そんな自給自足的な暮らしを目指し、僕は進んでいきます。そんな考え方・暮らし方が、みんなにも広がっていくといいなと思っています。
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